7.20.2014

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お祭りに行ったらお好み焼きと焼きそばを食べないと満足出来ない藤生です、こんばんは。

この年になるとお祭り運営の人達が同級生っていうのが普通にあり得る状態なので、出来れば参加したくないのですが、姪っ子大好きな弟が娘を連れて遊んでくれたので助かりました。
お土産のお好み焼きとチョコバナナおいしかったです。

娘は綿菓子を買ってもらってめちゃくちゃテンション高かったです。
袋で買ってもらえるのって子供心にめちゃくちゃ嬉しかった気がします。

…買ってもらった記憶があまりないのが残念です………


掟!の方ですが、ずっとネームを変えてました。
web用に意識しすぎてコマ割りがあんまりおもしろくなくて…というか、個人的に一話に一回は見開き入れたい体質なんですが(見開き大好き)
あんまり入れてもなぁ…と控えていたので鬱憤たまってました。

なので夏澄美と悠ちゃんの出会いのシーンを















こんな感じにしてみたり



















ちょっと大コマにしてみたり

色々やってたらページ数も増えたのですが、遡って描き直すよりは先に進めた方がいいと思うので
次回の更新から新しい方のネームで描いていこうとおもいます。

なので1話30P前後、夏澄美編は3話で完結。
以後色々なんちゃら編で進みます。

ここ最近ネームを下描きも兼ねて描こうと思ってましたが、よく考えれば描いてる内にどんどん変わってくるので、無意味だという事がやっと分かりました。

ネームは簡単な方がいいです。
もう未来の私に優しくしない事にしました。

ちなみに自分用のネームはこんな感じ。




















自分でも何が描きたいんだか分かりません。

これが未来の私に優しくない過去の私です。
さすがにここまで行くと号泣するしかないので、もう少し描きこみたいと思います。

…我ながらひどすぎ!!


7.18.2014

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ブログが全然機能していなかったのですが、特に書く事も無い程引きこもりまっしぐらな生活をしている藤生です、こんばんは。

でも言う程引きこもりって訳ではないです。矛盾していますが。

ご飯の買い出し行ったり、用事済ませに外出したり、外の空気は吸っていますが
フェイスブックの友達(という名の顔見知り)(もちろん友達もいますが)みたいに、オシャレなカフェでお茶したりランチ行ったり、プール行ったりスポーツ観戦したり、旅行行ったり…

っていう事は無いだけです。

あの人達はどうしてあんなにアクティブなんでしょうか?
FBに写真載せる為にお出かけしてるような気がする程、見ていてびっくりします。
これがリア充と非リア充の違いでしょうか。
私は自分では結構リア充(おもにオタク活動、むしろオタク活動のみ)だと思っているのですが。

まぁ実際予定立てづらい生活をしているので何とも…
予定が合ったらぜひ構ってください…マジで…
夏は予定空けずらいんですが…だって…ロングバケーションですよ…学生は…orz

学生といえば、私はミッション系の大学に通っていたのですが、実は昔は宗教というものが大嫌いでした。
嫌いな理由は…宗教で人生が狂ってしまった人が身近にいたからでしょうか。
それとも私自身が「信じられるのは自分」という感情が強くなってしまって、信仰してる人達の気持ちに共感できないからでしょうか。

理由は様々だと思います、自分でも。
それでも、何の知識もなく嫌いと言うだけで、知ろうともせず否定をするのはあまりにも幼稚で無知すぎると思ったので、大学はキリスト教を学べる所に行きました。

正直驚く程、善人ばかりでした。

ミッション系といっても、洗礼を受けている学生はかなり少なく、先生達も半分…いくかいかないかくらいだったので、ガッチガチの学校ではなかったです。

教徒である先生達はまさに善人そのものでした。
それも、すがすがしい程に。

この人達はいつか誰かに騙されて、地獄の底に突き落とされるような絶望感を味わったらどうするんだろう…と心配になる程、慈悲深く、人を信じ、愛し、そして守るような方たちでした。

汚れっちまった私には時にそれは眩しすぎて、逃げ出してしまいたくなるほどです。
それでも出会えた事に今は純粋に感謝しています。

私はそれまで、自分以外の何かを信じるのは、弱く愚かしい事だと思っていました。
でも、信じる事で強くなれる事も、確かにこの世界には存在するのだと、教えられた気がします。
嫌いという感情の塊が、優しい光に照らされてじわじわと溶けていくような、そんな気がして。

善人と偽善者は違います。
善人は、まさに善しかない人です。
きっとあの人達は騙されてもひどい目にあっても、信じる事をやめないんだと思います。
それは逃げではなく、立ち向かっていく強さ。
こんな生き方は私には出来ないけど、こんな生き方を選ぶ事も出来るのか、と感動した記憶があります。

だからこそ、嫌いだからという理由で避けていては、見えるものも見えないんだと思いました。
行って良かった大学だなぁとたまにしみじみ思います。

だからといって信仰するかは別ですが、私は信仰するしないをきちんと学んで、しない方を選んだという結果でした。
たまに家に来る勧誘は丁重にお断りをしています。
大学行って学んでも信仰する気にはならなかった、ごめんねって言うと帰ってくれます。良かった!

よく母に「人を見る目を養いなさい」と言われていましたが、私の人を見る目はこの大学時代が太い幹になっていて、 それは今でも枝を生やし成長していく(いきたい)と思います。


なんだかんだ真面目につらつら書き連ねていますが、基本は煙草吸って酒飲んでパチ屋行ってる学生でした。楽しかったです!

作文か!!